社長のエッセイ11

● 『 私の会社  五里霧中編 』続2

 自分のクルマに乗れるということは なんて嬉しいことなんでしょう。毎日毎日用がなくても乗っていたのを覚えています。
 ただ ここにたった一つの問題点がありました。 それは 門限です。
 "日の出から日没まで!!"
 これが 我が家の門限でした。これって結構きついですよ。仕事が終わって友達の家に遊びにいけないんですから。
 この門限が その年の暮れに あのような悲劇に発展しようとは もちろんその時は知る由もありませんでした。
 忘れもしません。昭和43年の暮れも押し詰まったある日 当時土浦市常名町にあったホンダSF関東土浦工場主催の"年忘れボーリング大会"が開催されて 私も出場予定でした。ところが ここに問題がありました。ボーリング大会が夜だったんです。
 父に頼みました。
 「父ちゃん 帰りを遅くなんねえようにすっから Nで行っていがっぺ?」
 「榮一よォ 約束違うんじゃねえか!」
 「そんなごど言わねェで いがっぺよー」
 「しゃあねえなァ 早く帰ってくんだど。」
 喜び勇んで出かけました。
 ボーリング大会が終わって表彰式も終わり 立食パーティも終わったら 土浦のボーリング場を出る時点で 既に夜の10時を回っておりました。
 多少後ろめたい気持ちで11時ちょっと前に家に着いたら 何と工場の電気がコウコウとついているじゃありませんか。
 おまけに表に親父が立ってるんですよ。思いっきり寒いのに!
 「ヤベェ パタかれる!(殴られる)」
 とっさにそう思いました。前にもお話しましたように脳血栓を患ってからは 身体が思うようじゃなかったので 口より手のほうが早かった時が何度もありましたから。
 「早ぐ 家にへえれ(入れ)」
 悲しそうな顔をして 先に家に入ってしまいました。
 そして どこかに電話をかけ初めました。
 「取手の秋山と申します。先ほどはどうもありがとうございました。せがれが無事に帰ってまいりましたので 係りの人によろしくお伝えください。」
 おもわず 母に聞きました。
 「母ちゃん 父ちゃんはどこに電話してんだ?」
 「取手と 龍ヶ崎と 土浦の警察!」
 「なんだァ 警察だァ?」 
 「おめェの 帰りが遅いんで 父ちゃん そこらじゅうの警察に電話を掛けまくってたんだど。電話の一本もよこしゃしねえで 本当にとんでもねえバカやろうだ。」
 「・・・・・・・・」    何も言えませんでした。
 その日は 風呂に入ってすぐに布団被って寝床に着いたんですが なかなか寝付けませんでした。自分じゃ「帰りの時間が遅れてもたいした事はないだろう」と思ってたんですが 親にとって見たら クルマ乗り初めのアンちゃんが 夜の夜中にほっつき歩いているんですから 心配でしょうがないのは あたりまえですよねェ。
"子を持って知る親の恩" ことわざじゃありませんが 結婚して子供ができて その子供が大きくなってクルマを運転するようになった現在ですよ ようやくその気持ちがわかるようになってきたのは。 

いろんな事がありましたが セールスマン一年生の 昭和43年も どうやら無事に年越しすることができました。『 私の会社  五里霧中編 』はこれでおしまいとさせていただきます。
みなさまには 引き続き『 私の会社  試行錯誤編 』でお目にかかれますことを楽しみにいたしております。


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