社長のエッセイ10

● 『 私の会社  五里霧中編 』続

当時のウチの店の状態は 前にもお話しましたように"貧乏"というのを絵に書いたみたいなものでしたから デモカー(試乗車)などという気のきいた代物は有りませんでした。だから お客さんがN360を見たいという時は 土浦営業所まで行って現物を借りてきて見せなければならなかったんです。
それじゃ お客さんのところを訪問するのにはどんな手段を講じていたかと言うと 当時の我が愛車ホンダCD250の荷台に 溶接で籠をくっつけて その中にカタログとチョコレート入りのカバンを入れて お客さん廻りをしていました。
ところが 当時のクルマ業界といったら『トヨタ・日産にあらずば 自動車メーカーにあらず!』の時代でした。まるで"平家物語"の世界ですよ。
そんな風潮のところに オートバイに乗ったアンちゃんが軽自動車のカタログ持ってったって 誰も相手にしてくれませんよ。
「ウチは オートバイなんか いんねェ。(いらないですよ)」
 「ホンダなんてオートバイ屋が四輪車作ったって すぐぶっこわれっちゃあべよ。(すぐに故障しちゃうんじゃないですか?)
 ある程度の予測はしていたんですが 想像以上の反応でした。
 でも 優しいお客さんもいました。
 「なんだおめェ 秋山の息子がァ(お坊ちゃんですか?)おらァおめんとこの父ちゃんにさんざんぱら(とっても)世話になったんだどォ。」
 「あれまあ 秋山先生(母が裁縫所を開いてました)のとこのアンちゃんげ。(お坊ちゃんですか?)よぐ来たなぁ(ようこそいらっしゃいました)あがってってくろよォ。(どうぞお上がりください)」
 何のことはありません。「自分ひとりでクルマ売って来るんだ」という意気込みは立派なんですが 現実は親父とおふくろが長年築いてきた 信用という雨傘の庇護の元で商売している訳ですから まるでお釈迦様の手のひらの中でもがいている孫悟空ですよ。
 「こんじゃ 整備やってんのと同じじゃねえか こんなこっちゃ俺は一生かかっても親父は抜けねえぞ!」
 そんなジレンマとの戦いでした。
 でも ある日ふっと考えたんですよ。
 ほら 昔からよく言うじゃありませんか"立ってる者は親でも使え"って!
 「そんなことわざがあるんだから 親父やお袋の顔に泥を塗らなければ 何も詐欺や泥棒をするわけじゃないんだから 名前を使わせてもらっても罰はあたらねえだろう。」
 そう思ったとたんに気持ちがスーッと楽になりました。
 だって 逆立ちしようがデングリガエシをしようが 血のつながりと言うか親子の縁と言うか 世の中にはきっても切れないものが存在するわけですから。
 こんな自然の摂理にさえなかなか気が付かなくて つっぱっていたんですから 私も相当のアンポンタンですよねェ。 

そんなこんなで セールスマンという商売に首を突っ込んで半年が過ぎた昭和43年10月のある日 父が突然言いました。
 「榮一よォ クルマ買うが?」
 「クルマ?」
 「これがら どんどん寒ぐなってくっから いつまでもオートバイでお客さんのところも行ってらんねえし そういつもいつもホンダがらクルマ借りてくるわけにもいけねえがらよ。」
 「何のクルマにすんだよ。」
 「もちろんN360だっぺ。」
 「金 あんのが?」
 「月賦で買えばいがっぺよ。」
 たぶん 冬に向かって ジャンパー姿でオートバイを転がしてる我が子が不憫になったんでしょうね。
 だけど いくら月賦で買っても N360の新車を買うということは 当時の我が家の家計にとっては相当苦しかった出来事だったと思います。
 とにもかくにも 記念すべきデモカーの第一号を買う事になりました。
" 車名・ホンダN360AT    色・黄色 "
 これが 父が私に買い与えてくれた最初のデモカーであると共に 自転車・オートバイも含めて 我が家で始めて買った新車でした。
 仮にもホンダの販売店ですからN360、私が初心者ですからオートマチック、ここまでは話がわかります。何で色が当時珍しかった黄色なんでしょう?
 「おめは へだくそだから 周りの人に気をつけてもらうしかあんめェ!」
 なっとく!(つづく)


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